漫画『ベルサイユのばら』を知らない人はいますか?
『ドラゴンボール』『スラムダンク』『北斗の拳』『明日のジョー』…読んだことはなくても、ほとんどの人が人生のどこかで一般常識として名前を覚えるだろう名作が数多あります。その中で、名作少女漫画の筆頭として名を馳せるのが池田理代子『ベルサイユのばら』です。こんな説明もいらないくらい、有名ですね!
そんなベルばらが2025年、リメイク映画で鮮やかに蘇りました!華やかなビジュアル、衣裳、劇中歌が美しいのはもちろんのこと、50年以上前に描かれたストーリーだというのにまったく古さを感じさせない、ドラマティックな展開が胸にビシビシ刺さります。
原作をだいぶ端折って美味しいところだけ抽出しているとはいえ、約50年前日本中の女性を夢中にさせた、アントワネットとオスカルの生き様を2時間で味わい尽くすことができる、贅沢な一作でした。
本記事はネタバレを含みます。まだ未視聴の方はご注意ください◎
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』の評価
総合評価 3.9 / 5 点
評価コメント:ベルばらの綺麗なところだけ、宝塚とレミゼとセーラームーンとMIXしたハイブリッド感
画面の端から端まで、とにかく華麗でロマンチック。豪華絢爛マシンガン(褒めてる)。
王族や貴族たちは宝塚のごとくきらびやかなのに対して、民衆が歌いながら反乱に立ち上がるシーンは、レ・ミゼラブル『民衆の歌』のように剛勇。かと思えば、アントワネットとフェルゼンの愛が通じ合えばミラクルロマンスな二人だけの世界に…。
原作のベルばらは、ベルサイユの土壌に深く根を張る、ずる賢さや欲望、恨み妬みとかの暗い部分まで描いていて、アントワネットやオスカルも必ずしも聖人として描かれていません。一方、今回のリメイク映画は、アントワネットとオスカルの純粋で高潔なところだけ切り取ったプロット。
ばらの複雑に絡む根っこを落として、綺麗な部分だけを摘み取って飾り付けたブーケのようだなという感想を抱きました。原作のコメディ混じりのドロドロを愛してきた方には賛否あるかも?
物語としての完成度は高く、ベルばらの華やかな世界や大まかなストーリーはばっちり押さえているので、入門編にはうってつけ!ちゃんと、ギュンギュンに切なくて、ほろほろ泣けます。
- 名作漫画を読んでみたいけど、絵に抵抗があって読めていない人
- ミュージカルが好きな人
- 身分の差で結ばれない恋愛作品が好きな人
- 沢城みゆきのクラピカボイスが好きな人
- ドレス・美術・アンティーク・ロココ様式、西洋の華麗で可愛いものが好きな人
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』が視聴できる配信サービス
- Netflix
現在、Netflixで独占配信中です。
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』作品情報
作品情報
⚫︎ アニメーション製作:MAPPA
⚫︎ 尺:113分
⚫︎ 監督:吉村愛 (アニメ『歌舞伎町シャーロック』、映画『Dance with Devils Fortuna』ほか)
⚫︎ 脚本:金春智子(アニメ『うたプリ』シリーズ、『君に届け』シリーズほか)
⚫︎ キャラクターデザイン:岡 真理子(アニメ『百千さん家のあやかし王子』『初恋モンスター』ほか)
⚫︎ 音楽:澤野弘之(『進撃の巨人』シリーズ、『七つの大罪』シリーズほか)
⚫︎ 英題:THE ROSE OF VERSAILLES
予告動画
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』主要キャラクター・キャスト
オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(声:沢城みゆき)
– ジャルジェ家の末娘だが、跡取り息子として育てられる。近衛兵としてアントワネットの護衛につく。
マリー・アントワネット(声:平野綾)
– オーストリア皇女に生まれ、フランス・オーストリア間の和平のために、14歳でフランスへ嫁いできた。
アンドレ・グランディエ(声:豊永利行)
– ジャルジェ家使用人の祖母に育てられ、オスカルとは幼馴染であり主従関係であり、幼いころからいつも一緒にいる。
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン(声:加藤和樹)
– スウェーデン伯爵。フランス遊学中のころにアントワネットと出会い、運命の恋に落ちる。
ルイ16世(声:落合福嗣)
– ルイ15世の孫。狩猟と錠前作りが趣味のシャイで控えめな青年。
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』ややネタバレありあらすじ
マリー・アントワネットとオスカル、フェルゼンと出会う
フランス王太子・ルイとオーストリアとオーストリア皇女マリー・アントワネットの婚姻が決まり、1770年5月、14歳のマリー・アントワネットは故国を離れフランス・ヴェルサイユ宮殿に入った。
フランス貴族ジャルジェ家の末娘・オスカル・フランソワ・ジャルジェは、後継ぎ息子として育てられた。11歳のとき、アントワネットを守ることが使命と言い渡されたオスカルは、近衛隊隊長としてアントワネットに仕える。
結婚から3年経っても、ルイはアントワネットに心を開いてくれず、当然子どもできない。世継ぎを望む周囲からのプレッシャーと、フランス王室のしきたりの多さに辟易したアントワネットは、夜な夜な舞踏会に繰り出して憂さを晴らしていた。ある舞踏会で、アントワネットはスウェーデン貴族・フェルゼンと出会う。
ある日、アントワネットが乗った馬が暴走し、アントワネットは軽傷を追ってしまう。オスカルの部下アンドレ・グランディエは、国王ルイ15世から責任を問われ極刑を言い渡される。そこへオスカルとフェルゼンが命懸けで止めに入り、さこの件は不問になった。命を救われたアンドレは、いつかオスカルに命を捧げる決意を固める。これ以降、オスカルとフェルゼンは友情を深める。
アントワネットとフェルゼンの許されない愛
ルイ15世急逝により、ルイ16世が国王に、18歳のアントワネットは女王になった。アントワネットはフェルゼンが気になるが、フランス女王に国王以外の男性との噂などあってはならない。アントワネットをオスカルに託し、フェルゼンはスウェーデンに帰国。アントワネットは、寂しさを埋めるように贅沢三昧の日々を送る。
3年後、結婚相手を探しにフェルゼンがフランスに戻ってきた。フェルゼンが結婚と知り、胸を痛めるアントワネット。しかしすでに気持ちは隠しきれないほど大きく、アントワネットとフェルゼンは、ついに愛を確かめ合い結ばれる。
宮殿内はアントワネットとフェルゼンとの噂で持ちきりだった。オスカルの忠告に、「女王である前に一人の女性だ」と女性としての幸福を訴えるアントワネット。男として育てられたオスカルは女性としての幸福など、考えたこともなかった。フェルゼンへの恋心を自覚したオスカルは、ドレス姿で舞踏会に行き、フェルゼンとダンスをする。フェルゼンへの思いを断ち切り、男として剣とともに生きることを決めた。
高まる国民の怒り、オスカルの決断
戦争と自然災害でフランス財政難は進み、平民の暮らしは厳しさを増していた。ある日、街で王家使用人と平民の諍いが起き、子供をかばって負傷したアンドレは左目を失明してしまう。
平民の怒りを目の当たりにしたオスカルは、「人間らしい生き方」と「平等」について考えるようになる。ついに、アントワネットのそばから離れ、平民に寄り添うことを決めた。フランス革命はすぐそこまで迫るーー。
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』ネタバレあり感想
主役オスカルが自由と愛を掴むまで
映画版ベルばらはオスカルを中心に据え、オスカルの視点でアントワネット嫁入り〜バスティーユ陥落までが描かれました。その間オスカルはアントワネットを生涯お守りするという洗脳を解き、当時絶対だった階級区分を越えて、自分の意思で生き方を選び、自由と愛(=アンドレ)を手に入れます。
女王として不自由ない贅沢暮らしを送っているアントワネットが、何一つ自分で決められないという点では、自由などなかった。
オスカルも「跡継ぎとして、男として育てられた」時点で、選択の自由を奪われていました。結局オスカルは軍人として生きることを選ぶわけですが、それは父に言われたからじゃなく自らの意思で、そこには大きな違いがあります。
さらにオスカルは、女として生きることを自らの意思で捨てたら、アントワネットが「女の幸せ」と熱望した愛をも掴むことができました。人の幸せは、自由の先にしかない。アントワネットがフェルゼンに固執するのも当然です。生まれて初めて、自分で選んだ恋の相手だもの。
華やかでコテコテなアニメ映画と見せかけて、「自由」とは、「幸福」とは何かを問う、哲学映画でもありました。
オスカルが平民に味方するまでに至る、平民との交流ストーリーがばっさりカットされているために、オスカルの優しさ・かっこよさや葛藤、平民たちがオスカルに向ける眼差しが、薄味にしか伝わらないのが残念です。勇気と気品と豪快さと優しさに満ち満ちていて、男女問わず惚れさせるほどの魅力がオスカルにはあってですね…つまり、オスカルのお声が沢城みゆきは最高!
アントワネットが清純に描かれすぎじゃない?
オスカルにフォーカスし、アントワネットを筆頭に各キャラの描写や原作の濃いエピソードを削ぎ落としたおかげで、話はグッとシンプルになり、時代の流れが追いやすくなっています。ベルばらの話の大まかな流れとおいしいところは抑えつつ、現代に合わせた映像や曲で、ベルばら入門にはぴったりな作品に!
が、アントワネットが清純高潔すぎるために悲劇の女王になってしまった見せ方には物申したい!
映画から受けるアントワネットの印象は「愚鈍な夫と結婚させられて、遊びや恋さえ許されず、さらにタイミング悪くフランス革命に巻き込まれちゃった悲劇の女王」というところでしょうか。
でも、アントワネットは映画の途中、曲やナレーションに合わせて映像でさらっと流されている場面の中で、陰湿ないじめや友人への貢ぎ、賭博で大借金など、無知で浅はかなバカ娘っぷりで周囲を困らせまくっています。
アントワネットには民衆の恨みを買い、非難されるだけの要因がありました。原作全10巻を2時間弱の映画にする都合上、仕方ないですが…つまり、平野綾アントワネットの歌唱は最高!
突然の白目…これぞ70年代の少女漫画!
少女漫画で最初に白目の描写を使ったのは、この『ベルサイユのばら』とも萩尾望都『ポーの一族』だとも言われていますが、1970年代前半少女漫画のイノベーションとも言うべきこの白目表現!
映画の中にもキャラクターがキラキラおめめから一点、突如白目を剥くシーンがありました。マリーアントワネットもまさか令和に白目剥いてるとは思ってなかったでしょうね。
令和のアニメ技術全開の映像の中での、突然の白目。もう、違和感がすっごい!笑
白目への耐性がないので、白目になった瞬間に脳が勝手にコメディ変換しちゃうんですよね。白目を剥くほど感情が振り切れてしまった瞬間だとはわかるんですけど…。
白目といい、ガーンの表情線といい、「にししし!」みたいなちょいギャグ笑い混じりの描き方といい、平成漫画で育った身には受け取り方が難しく、この時代の少女漫画を読むのはテクニックを要するなと思います。昭和少女漫画で育った人が、今の漫画読んでもそうなんでしょうか。盛り上がりに欠けるなとは思いそう。
宝塚、セーラームーン、いろんな作品の成分が混ざって
ポップな曲と一緒に話がぐいぐい進んでいくのはソフィア・コッポラ版『マリー・アントワネット』みたいでした。歴史を扱った作品に、ポップな曲を多用されると重厚さが損なわれてしまいますが、ベルばらは漫画原作でアニメ映画だし、私は楽しく見られました!加藤和樹のメロいお声がたっぷり聞けるので、もっと歌入れてくれてもいいくらい。
他のアニメ作品には類を見ない煌びやかな画面。宝塚の華やぎをアニメに凝縮したらこんな感じではなかろうか。画面の隅まで花や宝石で埋め尽くされ、男性キャラは出てくるけれど、その誰もが女性のために用意されたキャラクター。一切男性に媚びず、どこまでも女性の求める美しさを追求した世界。
かと思えば後半、映画ではものすごく影の薄いベルナール・シャトレ(新聞記者)が平民たちを率いて歌い出すシーンはミュージカル映画『レ・ミゼラブル』を思い起こさせます。荒れた街中で平民の服装も質素だから、画面全体はダークカラーで、ドラムやパーカッションの力強いサウンドが流れます。
これまで個人曲が多かったのに急に大勢で骨太の曲を歌い出すもんだから、レミゼでも「急に?」って思ったんですが、やっぱりベルばらでも「急に?」と思いました。
そして、愛を手にしたカップルたちは、セーラムーンのプリンセス・セレニティとエンディミオンよろしく、ミラクルロマンスな二人だけの世界に飛びます。
ギリシャ神話の神々が着ているようなキトンを身に纏い、オーロラが浮かぶ月夜へ羽ばたく恋人たち。心は現実から離れ、二人だけの世界で愛を交わし合います。豪華なドレスも、輝く宝石も、広い宮殿も何も要らず、ただお互いがいればいい、という唯一の望みを服や背景が強調しているかのようです。
並べてみると、どれも女子の好きな作品で、いやはやツボを抑えておる…。
マロン・グラッセ・モンブラン CV.田中真弓の遊び心
豪華な声優さんがちょい役で登場するという贅沢で楽しませてくれたこの映画。エンドロールを見ていると、「マロン・グラッセ・モンブラン 田中真弓」の文字が。
この、異様なまでに栗縛りの名前。田中真弓…。クリリンのことか!
田中真弓の声にまったく気が付かなかったので思い出そうとしたところ、マロン・グラッセ・モンブランって誰や…?原作でそんなキャラいたっけ?と、まずどのキャラかわからない。
調べてみると、マロン・グラッセ・モンブランは、ジャルジェ家の使用人でオスカルの「おばあちゃん」でした!原作でも、おばあちゃんと呼ばれていたので、この名前は今回映画リメイクにあたって付けられたのでしょう。
さらに言うと、声優が『ドラゴンボール』でクリリンの声を当てた田中真弓に決まってから付けられたのかもしれません。なんて素敵な遊び心。
劇場版アニメ映画『ベルサイユのばら』考察・解説
【解説】前半はアントワネットの恋愛、後半はオスカルとフランス革命の二部構成
映画『ベルサイユのばら』は、前半と後半の二部に分けられます。
前半は、オスカルとアントワネットへの忠誠、アントワネットとフェルゼンの恋愛を描きます。
中でも前半ラスト、オスカルが女性の装いで舞踏会に参加し、フェルゼンとダンスするシーンは原作コミックス5巻に収録されていて、原作でも特に人気のあるシーンです。
そこから物語は、後半へ。オスカルがアントワネットから離れ平民に協力する中で、オスカルの信念の変化、オスカルとアンドレの愛と絆が描かれます。
フランス革命は1989年、オスカルが加担したバスティーユへの攻撃をきっかけに始まりました。ルイ16世は1893年1月21日、アントワネットは同年10月16日に民衆の前で首を刎ねられます。幸いにもオスカルは、アントワネットが辿ることになる壮絶な運命を知ることなく、この世を去りました。
原作ではアントワネットの最期まで描かれています。気になる方は、原作10巻をぜひご覧ください!
【解説】原作との違い、省略された婦人たち
映画に姿は一瞬だけ出てきたけれど、名前も登場せず省略されてしまった女たちがいますので、ご紹介します。どのキャラも、原作ではガッツリ数話を割いて描かれたメインキャラたちです!
デュ・バリー夫人
ルイ15世の寵姫デュ・バリー夫人は、アントワネットが嫁いできてすぐのメインエピソードに登場します。
アントワネットは元娼婦のデュ・バリー夫人を毛嫌いし、「身分の低い者から高位の者に話しかけてはいけない」という宮廷のお作法をいいことに、デュ・バリー夫人を2年以上も無視し続けます。周囲の貴族たちは、この無言の対決をおもしろおかしく騒ぎ立てました。
恥と怒りに狂ったデュ・バリー夫人はルイ15世に泣きつき、このままでは外交問題にもなりかねないとアントワネットは母でオーストリア女帝マリア・テレジアに叱られ、渋々デュ・バリー夫人に話しかけたのでした。
映画では、劇中歌「Ma Vie en Rose」(平野綾)の途中、涙を溜めてプイッと横を向くアントワネットの向かい、ルイ15世の隣にいる女性がデュ・バリー夫人です。
このとき、2年も無視を決め込んできたアントワネットがプライドを捨て、デュ・バリーに初めて話しかけました。「今日は王様もご機嫌でいらっしゃいますね」と一言発しただけでしたが、生まれながらに女王のアントワネットが、平民のそれも娼婦だったデュ・バリー夫人に大勢の前で屈したことになり、それもあっての悔し涙なのでした。
ポリニャック夫人
原作では、アントワネットの友人として存在感を発揮したポリニャック夫人も、映画では一瞬映っただけでした。
ポリニャックは貧乏貴族でしたが、美人で社交的。アントワネットは出会ってすぐにポリニャック夫人を気に入ります。
ポリニャック夫人に乞われるままに地位や領地を与え、ポリニャック夫人に誘われて賭博に大ハマりし大借金を抱えるなど、国の赤字を大きく膨らませました。この時期の浪費と軽薄な行動によりアントワネットの人気は落ち、民衆の恨みもアントワネットに向けられます。
映画ではオスカルが、アントワネットが「人に乞われるままに領地を与え」「友人と賭博に」耽っていると嘆く場面、これらはアントワネットとポリニャック夫人に傾倒している時期のことを指しています。友人たちと座って笑うアントワネットの隣にいるのが、ポリニャック夫人です。
ロザリー・ラ・モリエール
映画序盤、オープニングテーマのように始まる曲「The Rose of Versailles」の中で、平民の装いをした金髪の少女が一瞬だけ映ります。これが原作でオスカルと深く関わる平民ロザリー・ラ・モリエールです。
ロザリーの母親が、貴族の馬車に轢かれて亡くなり、ロザリーは仇討ちに向かい、なぜか間違ってオスカルの屋敷に忍び込みます。オスカルに保護され、オスカルの屋敷で暮らすうちに、ロザリーはオスカルに恋心に近い感情を抱きます。
ロザリーの母を轢いた仇は、ポリニャック夫人でした。しかし、ポリニャック夫人はロザリーの実の母親であることも判明。ポリニャックを母とは認めず決別したロザリーは、やがて市民を率いる新聞記者ベルナール・シャトレ(映画後半で平民の中心に立ち歌っていた男)と結婚しました。
ロザリーがいたおかげで、オスカルは平民の気持ちを深く知ることができました。オスカルが平民に寄り添う決断をする上で、欠かせない人物と言えるでしょう。
【考察】オスカルが得た人間としての幸せとは
オスカルは女として生きる道を選ばず、自分の意思に従って生きた結果、「人間としての幸せ」を得ました。
オスカルが手にした「人間としての幸せ」とは、自らの意思で生き方を選ぶ「自由」と、生まれた階級に生き方を支配されない「平等」、身分に関係なく人を愛する「博愛」。つまりフランス国旗のトリコロール、フランス革命の理念そのものです。
オスカルが手放した「女としての幸せ」は、ジェローデル曰く、暖かい暖炉やまどい(団欒)。この時代の多くの夫人が、戦いより好んだこれらは、オスカルにとって幸せではなかった。オスカルにとっての幸せは、「自分の意思に従って行動すること」、「オスカルと一緒にいること」でした。
一方、アントワネットにとっての幸せは「愛し愛されること」。たとえ、国家がどれほど傾いていて、平民の暮らしがどうだろうと、アントワネットにはどうでもいいことでした。
オスカルは、アントワネットの生き方を決して否定せず、アントワネットに恨みをぶつけることもしていません。アントワネットが何を選びどう生きるかは自由。特にオーストリア皇女として生まれ、王権は天から与えられたものと信じて疑わないアントワネットが、平民の気持ちを理解できないのは仕方のないことと、アントワネットの立場も肯定しています。
オスカルはフランス国民が自由を掴み取る未来を見届けることはできませんでしたが、オスカルが描いた理想はやがてフランス国そのものが掲げる理念になりました。
生まれた階級で人生が制限され、幸福を夢見ることさえ諦めていた当時の平民にとって、「誰にでも自らの幸福を追求する自由と権利がある」ことを体現したオスカルはまさに希望の光だったでしょう。
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