いま、私の中で空前のY2Kブームが来ている。ただし、2000年前後の国内ドラマに限定して。
1998年放送のTBSドラマ『聖者の行進』は、福祉の影に隠れた障がい者虐待という日本社会の闇を真正面から描いた、野島伸司の代表的社会派ドラマだ。
実際の事件を元にしており、そのあまりに凄惨な描写から、放送当時からいまでも議論の声が絶えない問題作。
ここでは、物語全体の流れに加え、登場人物それぞれが抱えた痛みと希望、そして最終的に示された“人間の尊厳”の意味を考察しながらレビューしていく。
本記事は感想にネタバレを含みます。まだ未視聴の方はご注意ください◎
ドラマ『聖者の行進』の評価

総合評価 4.0 / 5 点
評価コメント:こんなにすごいドラマ、もう作れない
ドラマ「聖者の行進」は、障がい者への虐待・差別を容赦なく描いた衝撃作だ。
暴力、暴言、性加害など現在では放送不可能なほど過激な内容だが、当時これを世に出した意義は大きい。
作中では、弱者を支配することでしか自尊心を保てない加害者の「驕り」と、純粋で優しい心で人を肯定する永遠たちの「強さ」が対比され、人間のエゴと弱さが生々しく露呈する。
また、野島伸司は障がい者を必要以上に美化せず、恋愛感情や狡さも含め“人間として”リアルに描いて見せた。
本作は、実際に起きた残酷な「水戸事件」を下敷きにしており、障がい者搾取や性被害が現実に存在したことを強烈に突きつける。弱い立場の人を守る仕組みの必要性を訴えた、後世に語り継がれる社会的問題作である。
- 心を揺さぶる社会派ドラマが好きな人
- 野島伸司作品の重苦しさに浸りたい人
- 中島みゆきの「糸」がこのドラマの主題歌だと知らなかった人
- いしだ壱成を元俳優のちょっと痛いおじさんと認識している人
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ドラマ『聖者の行進』』ネタバレなしあらすじ
知的障がいを抱える町田永遠は、子どものように純粋で優しい青年だが、父親や健常者の弟は永遠を疎み、家族は永遠の存在を持て余していた。
かくして永遠は、知的障がい者を住み込みで雇い入れるプラスチック製品工場「竹上製作所」で働くことになる。
社長の竹上光輔は、福祉事業に積極的で優しいと評判の地元の名士だ。しかし、それは表の顔。工場では光輔や、甥・三郎らによる知的障がい者たちへ、罰と称する暴行や虐待が日常的に行われていた。
入所ほどなくして、窃盗の疑いで厳しく責められた永遠は工場を逃げ出す。なんとか自宅に辿り着くも、家族は自分がいなくなって喜んでいることを知り、行き場をなくした永遠は結局工場に戻るしかなかった。
高校教師・葉川ももは、工場で働く障がい者たちに音楽を教えるボランティアをしている。
ある日、ももの教え子・土屋ありすのPHSを永遠が偶然拾ったことをきっかけに、家庭環境や学校生活に問題を抱えるありすは、電話で永遠に悩みを打ち明けるようになる。
ありすは永遠の姿を知らないまま、電話越しの永遠に惹かれ、永遠もまたありすに恋心を抱き、ついに二人はデートの約束を取り付ける。デート当日、永遠が障がい者だと知ったありすは拒絶を示し、永遠を残して立ち去った。
妻と三郎の不倫で鬱憤を抱える光輔は、知的障がい者の一人・水間妙子への性的虐待で憂さ晴らしをするようになる。妙子は警察にレイプ被害を訴えるが、信じてもらえない。光輔の暴行は次第にエスカレートし、妙子は妊娠してしまう。
ももやありすは永遠たちとの交流を通して、工場の実態に感づき始める。最初は口を閉ざして耐えるばかりだった永遠たちも、希望や矜持を見出し、加害者に立ち向かう。
ドラマ『聖者の行進』ネタバレあり感想
本当の「強さ」とは何か
暴力、暴言、強姦、差別、目を背けたくなるシーンやセリフのオンパレード。映画ならともかく、民放ドラマで本作ほど心が摩耗する作品はそうそうないだろう。
今のコンプラでは絶対に作れない内容を、当時も相当な数のクレームを受けながら、それでも意義があると放送しきった勇気を高く評価したい。
虐待の加害者たちは、それぞれ劣等感を抱えている。工場の小さなコミュニティの中で支配者として振る舞い、外で失った自尊心を満たす。
自分より大きな権力の前ではペコペコと頭を下げ、自分より弱い者の前では神のごとくふんぞりかえる姿が、どこまでも浅ましい。それなのに、悪玉の彼らが社会的制裁を受けないために、私たちの心は晴れない。
これまでの積み重ねを根拠に自分を強いと思うことは「自信」になるが、自分が弱いと知りながら強者として振る舞うことは「驕り」だ。驕れる者の攻撃の方向は弱者にだけ向く。はたして、それは本当に強さなのだろうか?
障がい者たちは能力や社会的には弱い存在だが、光輔や三郎ら他者を攻撃する人たちの方が、よほど人間的に愚かで弱い。
最後の最後に、光輔は自分が虐待をするに至った理由を弁明する。これまでの行いが精算されるにはほど遠い、「だから何?」で片付いてしまう、小さなショボい理由。気鬱に耐えながら最終話まで辿り着いた視聴者は、そんなことで光輔を許したりはしない。
日本において、人と違うことは差別・いじめの対象になりやすい。荒んだ人にとって恰好の餌食だ。それは知的障がいに限らず、性格や外見、好み、なんでもターゲットになり得る。
しかし、他者を肯定する優しさを持つ人にとって、差異とは”輝き”そのものだ。
「純粋な彼らは人を幸せにする存在」だと永遠たちについて語るもものように、人との違いを魅力として受け入れられることは、紛れもなく「強さ」だろう。
野島伸司の障がい者を描く覚悟
「聖者の行進」のタイトル通り、本作は、純粋な心を持ち人を攻撃しない永遠たち知的障がい者=聖者が、理不尽に対して立ち向かう道のりを描いたドラマだ。
しかし、野島伸司は知的障がい者を決して美化しない。知的障がい者たちの、恋のために他者を陥れる狡さや性欲も描くし、ときには「素直で元気」の域を超えたやりすぎな行動が、厄介な事態を巻き起こすことも誤魔化さない。
でも、「きちんと教えれば基本的なことはできる」し、「社会との繋がりのために働きたいと思っている」と、知的障がい者をきちんと社会の一部=労働力として認めている。実にニュートラルで、野島伸司らしい視点だ。
さらに本作が、ハンディキャップを扱った他作品と決定的に違うのは、とても無視できない人間のエゴをありのまま描く点だ。
おそらく世界で最も永遠に愛情を向けてくれる存在の母親でさえ、永遠の面倒を見ることに疲れを滲ませる。
自分の落ち度じゃない、兄・永遠の知的障がいのことでいじめられる弟が、永遠に厳しい態度を取るのも決して責められない。
特に、「知的障がい者でも(恋愛の相手として)好きになれるか?」という廉の問いかけは、全員の胸に鋭く刺さったはずだ。
ありすは恋の相手としては永遠を拒絶したが、その後友人として良い関係を構築することができた。それでも、ありすは死に際に「どこか違う目で見ているところがあって」と、対等に接してあげられなかったことを謝っている。
これに関しては正解も解決方法もわからない。だが、本作をきっかけに考えることは絶対になにかいい変化に繋がると思うのだ。
黙りたがる男、無視できない女
男性たちは虐待の事実を知っても口を閉ざすのに対して、告発のために動くのは女性、と男女で行動がきっぱり二分されるのが印象的だった。
工場長や、ももの同僚で婚約者の向、あろうことか永遠たちとも仲良くする宇野弁護士まで、当初は告発に否定的。
しかし、もも、ありす、永遠の母は虐げられる永遠たちを救うべく、女性チームは憤然と立ち上がる。
これは、男性の地位や名誉には周囲との関係性も多分に影響し、ひとたび信頼を失えば再起には大変な苦労が必要だからだろう。養う家族もいれば、「正しさ」だけでそう簡単に行動できない。責任あればこその保守なのだ。
一方で、女性が躊躇せず告発に踏み切れるのは、抱える責任が小さかったからなのかもしれない。
また、当時の女性の評価は仕事ができたり、地位が高いことより、見た目の美くしさや気立のよさなど、社会とはなんら関係のない要素で左右される点も大きいのではないか。
男女の違いついでに一つ。
1話で、ありすが学校の食堂で嫌がらせを受ける描写が妙にリアルで驚いた。
学校に復帰したありすは食堂で、おそらくありすとは仲が良かった女子生徒たちと同席する。すると、彼女たちは無言のまま目配せし、ありすのラーメンに卓上の調味料を大量にぶち込み、食べられなくするのだ。
いざというときは「良かれと思って」と言い逃れできる、言葉も刃物も用いない陰湿な悪戯。製作陣の中に、女のいじめを知り尽くしてる人がいるぞ…!と私は舌を巻いたのでした。
ハンディキャップ演技の難しさとディカプリオのすごさ
白状する。いしだ壱成の演技を見るのはこれが初めてである。
私がいしだ壱成を認識したときには、もう薬物騒ぎでドラマ界の一線を退いていて、それから約15年ほど存在を忘れていたところ、2018年の24歳年下婚で思い出し、トルコ植毛や石田純一のコロナ騒動で石田家をお騒がせ一家認定したのだ。
初めてのいしだ壱成、それも知的障がい者役。思った以上に憑依していて、面食らった。
おかげで演技に関しては評価が改まり、今後いしだ壱成が出演するドラマは安心して見ることができるだろう。
1話はどの俳優も振り切った表現が見事だと思ったのだが、回を追うごとに、ワンパターンで誇張した表現に胃もたれするように…。
と同時に、『ギルバート・グレイプ』で知的障がいを抱える弟を演じたディカプリオの名演技がどれだけすごかったか、改めて思い出すのだった。、
本作は、あちらと違って知的障がい者たちがメインだし、知的障がい者たちが口達者にセリフを言わなきゃ話が進まないのは承知している。
けれど、いしだ壱成がディカプリオの役をやったらどんなふうになるのだろうと、つい想像してしまう。
ドラマ『聖者の行進』考察・解説
【考察】ありすと廉の死は必要だったか?彼らの死の意味付け
本作のレビューを見ていると、「ありすや廉の死はいらなかったのでは?」との感想がたびたび目に付く。
確かに、私もありすの唐突すぎる死、正確には第7話のありすの死を匂わすタイトルに仰天した。
そこで、ありすと廉の死は作品にどんな影響をもたらしたのか、彼らの死の意味を考えてみたいと思う。
ありすの死について
まずは、ありすはなぜ死ぬ必要があったのかについて。
ありすの死は、永遠の精神的成長をもたらし、ドラマ後半の永遠の抵抗に必要だったと考えられる。
永遠は絵本「3匹のこぶた」の末弟ブタ・ウーをロールモデルにしている。永遠にとって、絵本の主人公は勇気を与えてくれる存在だ。
そして、ありすのことも「不思議の国のアリス」のアリスに重ねる。ありすの死を、生物学上の死として認識しているかははっきりしないが、ありすがいなくなってしまったことを「ありすはきっと不思議の国に行った」と表現している。
ありすもいま不思議の国で果敢に冒険をしていると思えば、永遠も自分の世界を勇気を出して進んでいこうと勇気が湧くはずだ。
ありすの死後、8話で永遠が久しぶりに母親と再会したとき、母親は「永遠は自分の意見を持ち、たくましくなった」と述べた。ありすの死が、永遠に自分を信じて行動する勇気を与え、原動力となっているのではないかと思う。
廉の死について
次に、廉の死について考えていく。
廉にとって死は、廉が唯一、鈴のためではなく自分のために、自分で決められる選択肢だったのではないか。
失明した鈴のため、光輔の言うがままに殺人や殺人未遂に手を染める廉は、健常者であるがゆえに、もう自分がどうしようもないところまで追い込まれていることを嫌というほど分かっていたろう。
そして、自分たちを捨てた実の母は、新しい家庭で、子ども(それも男の子)を産み育てている。健常者の自分は捨てられのに、異父弟は捨てられずに育てられている事実は、廉を絶望の底に突き落とす決定打となった。
ももに看取られながら、微笑みを浮かべて息を引き取った廉の最期の表情は、廉が壮絶な苦しみからようやく解放されたことを物語る。
【解説】ドラマの構成に影響を与えた「水戸事件」とは
本作は、実際の事件に着想を得ている。1995年に茨城県で発覚した「水戸事件」だ。
本作の過激な暴行描写から、ドラマ化に際して大胆に粉飾しているのだろうと思いきや、実際の事件はドラマに輪をかけて残酷なのだから驚く。
事件が起こった会社「アカス紙器」では、作中でも描かれた角材で殴る、重しを膝にのせて長時間正座させるなどの虐待はもちろん、腐った食品を「バカだから何でも食べる」と与えていた。
さらには、10人近くもの女性従業員に性的暴行を加えていたという。
アカス紙器社長は、作中の竹上光輔同様に、知的障がい者を積極的に受け入れる地元の名士として名高く、証拠も少なかったことから警察は積極的に動こうとしなかった。
結果、アカス紙器社長にかけられた虐待暴行や強姦の容疑は不起訴となり、刑事裁判では助成金受給詐欺と傷害1件の罪で、「懲役3年 執行猶予4年」の軽い判決が下された。
のちに、民事裁判で強姦被害者3名に1500万円ずつの賠償金命令が下されたが、多くの被害者は泣き寝入りするしかなく、社会問題として人々の倫理観を大きく揺さぶった。
過去に起きたこのような事件が、様々なハラスメントを受ける人に対して耳を傾ける第三機関の重要性を世間に強く認識させることになったのは言うまでもない。
ドラマ『聖者の行進』主な登場人物・キャスト
町田永遠(いしだ壱成)
– 知的障がいを抱える青年。竹上製作所で住み込みで働くが、虐待を受けても心根の優しさから受け入れてしまう。同僚やありすたちとの交流を通して成長する。
葉川もも(酒井法子)
– 進学校で音楽教師をしながら、竹上製作所の知的障がい者に音楽を教えるボランティアをしている。彼らが職場で低賃金で働かされていたり、虐待を受けていることに気付く。
土屋ありす(広末亮子)
– ももが勤務する高校の生徒。義母と打ち解けられず、家に帰らず廃バスで過ごしている。永遠がありすのPHSを拾ったのをきっかけに永遠に悩みを打ち明け、仲良くなる。
竹上製作所
竹上光輔(段田安則)
– 竹上製作所社長。知的障がい者を受け入れ、地元の名士として有名だが、裏では従業員らに虐待を加え、低賃金で働かせて助成金を搾取している。
高原 廉(安藤政信)
– 妹の鈴とともに竹上製作所で住み込みで働いている。軽度の知的障がいを装っているが実は健常者である。鈴のためなら、永遠に罪をなすりつけるなど冷酷な行動も辞さない。
高原 鈴(松本恵 現:松本莉緒)
– 廉の妹で重度の知的障がい者。きらきら光るかわいい雑貨を集めて宝物にしている。天真爛漫で明るく、永遠に好意を寄せる。
水間妙子(雛形あきこ)
– 知的障がいを理由に母親に突き放され、竹上製作所で働いている。気さくで面倒見が良い少女で、廉に片思いしている。光輔から性的暴行を受ける。
加賀美 歩(渡辺慶)
– 心優しく泣き虫な、知的障がいを抱える青年。人見知りだが、永遠と仲良くなり二人で河原で昼食をとることも多い。
猪瀬辰雄(渡辺慶)
– 重度の知的障がいがある、食欲旺盛な大柄の青年。言葉に訛りがある。
間中順治(斉藤洋介)
– 竹上製作所の工場長。健常者だが足が不自由。医大に通う息子を誇りに思っている。永遠たちを可愛がっているが、光輔に弱みを握られ虐待に加担させられる。
竹上三郎(デビット伊藤)
– 光輔の甥で工場を手伝っているが、ろくに働いている様子はなく、もっぱら従業員の折檻で時間をつぶしている。光輔の妻・裕子と不倫している。
竹上裕子(水沢アキ)
– 光輔の妻。美人だが金や名誉に貪欲。三郎と不倫しているが、光輔に市長推薦の話が持ち上がると、あっさりと三郎を捨てる。
竹上俊輔(篠原俊晴)
– 光輔の息子。意地悪い性格で、知的障がい者たちには高慢な態度を取る。同じ高校に通うありすに告白するが「ガリ勉」と相手にされない。
家族・保護者たち
町田基子(篠原俊晴)
– 永遠の母親。永遠を可愛がり、献身的に世話を続けているが、夫の意向で永遠を竹上製作所にあずける。
町田和夫(中丸新将)
– 永遠の父親。永遠の知的障がいを受け入れられず、厄介払いのために永遠を竹上製作所に送る。
町田 敦(篠原俊晴)
– 永遠の弟で小学生。永遠のことで友人から嫌がらせを受け、友人らと一緒になって永遠をいじめることもある。永遠が家を出て喜んでいる。
土屋冬樹(清水章吾)
– ありすの父親。市長で福祉事業に力を入れており、光輔のことを高く評価している。再婚をよく思わないありすに反発されている。
土屋波子(沖 直未)
– ありすの父親の再婚相手で、ありすの継母。高校生の母親にしては歳は若く、ありすとは相入れずお互いに冷淡な態度で接する。
水間 梓(朝加真由美)
– 妙子の母。スナックを経営している。父親不明のまま妙子を産むが、知的障がいを抱える妙子に厳しくあたる。しばらく妙子とは疎遠で、妙子の妊娠を知り迷惑がる。
その他
向 哲雄(石橋 保)
– ももと同じ高校で教師をしている。ももとは婚約関係になるが、ももが竹上の性的暴行訴訟に関わることを反対し、婚約破棄となる。
宇野 淳市(いかりや長介)
– 路上でハーモニカを吹いていたことをきっかけに知的障がい者たちと交流を持つ。弁護士であり、当初は裁判の弁護を渋っていたが、ももの熱意に押されて引き受ける。
ドラマ『聖者の行進』作品情報
作品情報
⚫︎ 演出:吉田健、松原浩、那須田淳
⚫︎ 音楽:千住明
⚫︎ 原作:オリジナル作品
⚫︎ 話数:全11話
⚫︎ 放送:1998年1月9日〜3月27日 金曜22時枠
⚫︎ 放送局:TBS
- 『101回目のプロポーズ』(1991年)
- 『高校教師』(1993年)
- 『家なき子』(1994年) ※企画
- 『未成年』(1995年) ほか多数
受賞・ノミネート
2001年 第31回ザテレビジョンドラマアカデミー賞
- 最優秀作品賞
- 主演男優賞 いしだ壱成
- 脚本賞 野島伸司
主題歌
中島みゆき『糸』
中島みゆき『命の別名』
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