激しい癇癪、制御不能な衝動に、もがき苦しみながら全力で生きる9歳の少女。母親と暮らしたいあまりに暴れてしまい、状況を悪化させていくベニーの姿は、苛立たしく、痛々しく、そしてどうしようもなく愛おしい。
映画『システム・クラッシャー』は、観る者の神経を擦り切らせながら、社会制度で守りきれない子どもがいる現実を突きつけてくる衝撃作だ。
音楽や色彩、身体表現のエネルギーが、重いテーマに躍動感と希望の余韻を与え、物語は単なる社会告発に留まらない深みを持つ。
この記事では『システム・クラッシャー』のネタバレあり感想を軸に、作品が投げかける問いや印象的な演出、ラストの解釈まで掘り下げていく。
本記事は感想にネタバレを含みます。まだ未視聴の方はご注意ください◎
映画『システム・クラッシャー』の評価

総合評価 4.1 / 5 点
評価コメント:誰のせいでもないからこそ解決できない難題
映画『システム・クラッシャー』は、激しい感情の爆発を繰り返す9歳の少女ベニーと、彼女を取り巻く大人たちの奮闘と限界を描いた、痛切な社会派ドラマである。
ベニーの暴力は凶器であると同時に、愛を求める叫びでもある。母親や福祉職員は善意を尽くすが、誰も彼女の溢れるエネルギーを受け止めきれず、ベニーは制度の外へと追いやられていく。
ベニー本人、母親、福祉制度のいずれもが間違っているわけではないからこそ、状況は困難だ。問題は誰かの過失ではなく、答えのない現実そのものにある。
シビアな現実問題を描きながらも、躍動感のある音楽やベニーらしさを表す鮮やかなピンク、そしてかすかに希望が残るラストが、作品に軽やかなリズムを与えている。
日本との福祉制度の違いに驚きも多く、見る者の価値観や理解を広げる珠玉の逸品だ。
- 怒ったからにはあとに引けず、「はやく終われ」と思いながら意地を張り続けたことがある人
- 子どものころ、癇癪持ちで親を困らせていた人
- 子育てで我が子のわがままに本気でイラッとしたことがある人
- 児童教育・児童福祉関係の仕事をしている人
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映画『システム・クラッシャー』ネタバレなしあらすじ
9歳のベニーは幼児期に父親から受けた虐待がトラウマとなり、感情のコントロールができず、一度癇癪を起こすと大人も手がつけられないほど暴れ狂ってしまう。ベニーを持て余した母親は、児童福祉課と相談のうえ、ベニーを施設に預けている。
「ママと一緒に暮らす」ことがベニーのたったひとつの願いであり、母親の愛を求めるかぎりベニーの暴力的な衝動は抑えられない。結果、どの施設や里親もベニーを抱えきれず、37箇所の施設をたらい回しにされていた。
新しい施設に移ったベニーに、非暴力トレーナーのミヒャが通学付添人として付くことになった。当初は登校を拒否しミヒャを拒絶していたベニーだったが、徐々に打ち解けていく。
しかし、この施設でも癇癪を起こして暴れ、ほかの子どもたちを守るためベニーは追い出されることに。
ミヒャの提案で、ベニーとミヒャは山小屋で三週間の共同生活を送る矯正プログラムを実践する。ベニーは山での生活をすっかり気に入り、感情は安定していた。矯正プログラムは大成功かと思われたが、一時保護施設に戻るや否や、ベニーは再び取り乱す。
ミヒャも福祉員も、ベニーの扱いに困り果て、もう打つ手を無くしていた。福祉制度からどんどん締め出されていってしまうベニーは、「大好きなママと暮らしたい」という願いを抱えたまま、また新たな場所へと送られていく。
映画『システム・クラッシャー』ネタバレあり感想
苛立たしくて痛々しくて愛おしい!傷だらけのベニー
子どものころ、怒り出してしまったらもう後には引けず、相手が折れてくれるまで怒り続けた日をいくつも思い出せる。怒っているのは最初だけで、途中からは「はやくお母さん諦めてくれないかな」と思っていたことも。相手に面倒なプレッシャーを与えてわがままを押し通す、私はそういう狡猾でひねくれた子どもだった。それは18歳で家を出るまで変わることはなく、今でも実家に帰ると壁に空いた穴を見て恥ずかしくなる。
だから、ベニーの癇癪衝動が他人事には思えず、最後まで胸がヒリヒリと痛んだ。程度の差こそあれ、本作を見た全員が、ベニーに幼いころの自分を重ねたことだろう。
手当たり次第に物を投げ、金切り声をあげるベニーには辟易したが、同時に、そうしなければ自己防衛できない弱さが痛々しくて愛おしくもあった。ぬいぐるみを抱いて眠り、キッズソングを熱唱するベニーが、子どもらしくわがままであることを許されてほしい。だが、あれだけの危険を孕む暴力に晒され、責任まで降りかかるとなると、ベニーから逃げ出した母親を責めることもできない。
ショッキングピンクのジャンパーを纏って、周囲を蹴散らして突き進むベニーはエネルギーの塊だ。音楽が、色彩が、身体の躍動が、それを物語る。
ベニーの溢れんばかりのエネルギーは、別の方向に向きさえすれば、衝動が抑えられ感情が安定する兆候が提示されていた。元々フクロウ好きなベニーは、とりわけ自然の中での活動や動物の世話に興味がありそうで、アフリカでの矯正プログラムに希望が託される。
シビアで重いテーマを扱いながらも、暗い雰囲気にならないのは、作り手がベニーのような子どもたちが将来的に苦悩から抜け出すことを信じているからだと思う。脚本を極端にドラマチックに寄せたりせず、彼らを取り巻く現状をありのまま描く、中立な姿勢も見て取れる。
出立の日も空港で脱走し、ぴょーんと青空に羽ばたくベニーが、いつかそのパワーで世界を圧倒し、誰よりも自由に羽ばたく未来が想像できたし、ベニーのような子どもたちにもそんな日が待っていることを心から願う。
社会制度も誰も悪くない、だからこそ難しい
本作を見た日本人は、特にもう子育てを終えた50代以上の世代の人は、「母親ならもっとしっかり子どもをしつけなさい」と思ったかもしれない。
確かに、娘と向き合うことをすっかり放棄しているベニーの母親の尻を叩きたい気持ちはよくわかる。バファネさんを筆頭にベニーを見守る大人たち全員が、ベニーが施設を追い出される度に「母親のお前が一緒に住めよ」と思っているはずだ。
だが、どうやらベニーと母親の別居措置は児童福祉課の決定らしく、母親がすぐ近くにいても、第三機関に子育てを委ねることができるドイツの福祉制度に驚いた。日本なら、9歳の子と親がトラブルで警察沙汰になったとしても、警官が母親に「もっとしっかりしつけしてくださいよ。こっちも暇じゃないんだから!」とか、お小言を言って終わりだろう。
子どもの育成を社会全体で担い、子育ての責任を母親だけに押し付けない社会制度は、とても慈しみ深く魅力的に思える。が、その反面、ベニーの母親のように、制度を盾に子どもから逃げる、責任感の弱い母親も出てきてしまうデメリットがあることに初めて気が付いた。
それでも母親の負担を減らす社会制度は、間違っていない。かと言って、いつスイッチが入るかわからない爆弾のようなベニーと暮らすストレスに耐えきれなくなった母親も、ましてやベニー本人も悪くない。
ここが悪い!という問題点が見えないからこそ、この問題は難しい。全員が「この現状をどうにかしたい」と願い十分に努力していても、誰もベニーを受け止められず、最後は望まない選択を取るしかなかった。
だからこそ本作は、誰かを裁く物語ではなく、答えのない現実を突きつけ考えを促す物語なのだ。
ベニーにはダダンや孫悟飯じいちゃんが必要だった
世界中にたくさんのベニーがいて、ダダンや孫悟飯じいちゃんのような「受け止めてくれる人」に出会えたベニーが、エースやルフィ、孫悟空だ。
少年漫画の主人公たちには、絶対に必要な存在。ドクドクと湧き出て制御できない衝動を、同等の熱量で受け止め宥めてくれる大人が一人でもいればベニーは救われたかもしれない。
ミヒャはあと一歩のところだっったし、バファネさんも、母親も、善を尽くしたがベニーのエネルギーを捌ききれなかったということだ。
ベニーのように制度からこぼれ落ちていってしまう人を、「システム・クラッシャー」と表現するのも興味深い。
「クラッシャー(破壊者)」という言葉は、その人が強いパワーと多量なエネルギーを持っていることを連想させる。彼ら制度からこぼれる直接的な理由は、当人がパワーを正しい方向に活かせず平穏を壊してしまったからだ。そこに過度な哀れみはなく、ミヒャも「自業自得」、「自分で自分の首を絞めている」と何度もベニーに言い聞かせる。
結局のところ、ベニーに必要なのは「矯正」や「感情の制御」よりも、エネルギーを受け止めてくれる「人」や発散できる「対象」が必要なのではないか。そして、それらをわざわざ探しにいかなくても平穏に生きていける人は、みんな幸運だ。
映画『システム・クラッシャー』考察・解説
【解説】フラッシュバック映像の意味、おねしょとの関係
ベニーのフラッシュバック映像には、過去の記憶と直近の出来事、そしてベニーの願い(母親と一緒に過ごすこと)が混ざっている。
フラッシュバック映像が流れた直後、必ずベニーが目覚めるカットが続くことから、フラッシュバックはベニーが寝ている間に見ている夢であることがわかる。
万引き後のベニーが同級生たちにからかわれるカットからフラッシュバック映像に移行し、現実と夢が曖昧になる。このとき、ベニーは感情のコントロールを失い、興奮状態になったと読み取れる。
また、フラッシュバックから目覚めたベニーがおねしょをしてしまうのは、ストレスによって感情の制御だけでなく身体の制御も失っているからだ。だが、最後のフラッシュバックを経て、病院で母親の見守る前で目覚めたとき、おねしょをしなかった。その少し前に、ミヒャの長男に顔を触られても落ち着いていたことでベニーの変化が仄めかされたが、ここでもベニーの心身コントロールの進歩が示されている。
おねしょで濡れた服を脱いだベニーの身体は、あざだらけで痛々しい。ベニーが痛みを負いながらもどれほど必死に生きているかを、身体中のあざは言葉よりも雄弁に物語っている。
【解説】ベニーが犬と一緒に犬小屋に入ったのは夢か、現実か?
ミヒャの家から逃げだしたベニーは森に迷い込み、倒れているところを発見された。ベニー昏睡中に流れたフラッシュバック映像の中に、ベニーが山小屋近くの酪農場で飼われている犬と森を歩くカットが混ざっているが、これは現実の出来事か夢かわかりにくくなっている。
結論から言うと、犬とベニーが一緒にいる映像はベニーが見た夢である。
現実では、倒れているベニーを犬の散歩中だった老人が発見している。この時の犬の鳴き声がベニーの意識には届いていて、酪農場の犬と一緒にいる夢が形成されたのだろう。
「ベニーが森の中で犬と出会い、仲良く酪農場まで歩き、犬小屋に一緒に入る」部分は現実には起きていない。もしかしたら、犬と出会う前、ベニーがフクロウを発見し見上げているところも夢かもしれない。
念願だったものを見たあとに、犬に身を寄せるようにして眠りにつく子ども。何か連想するものはないかーー。
そう、『フランダースの犬』だ。フランダースの犬では、ルーベンスの絵を見る念願が叶った少年ネロは力尽き、愛犬パトラッシュを抱えて亡くなる。
このフランダースの犬のラストとの一致は、ベニーはもしかして死ぬの?とという不安を観客に抱かせると同時に、彼女に「安らぎ」が近づきつつあることを静かに示している。
ちなみに、『フランダースの犬』はベルギーが舞台だが、イギリスの作家によって描かれている。悲しいお話すぎて、ヨーロッパでは日本ほど人気があるわけではないらしい。
映画『システム・クラッシャー』主な登場人物・キャスト
バーナデット(ベニー)・クラース(ヘレナ・ツェンゲル)
– 父親から受けた虐待が原因で感情制御ができず、暴力トラブルで施設をたらい回しにされている。母親と暮らすことを望んでいる。
ミヒャ・ヘラー(アルブレヒト・シュッフ)
– ベニーの通学付添人兼非暴力トレーナー。自身も荒れていた過去があるが更生した。妻子を大切にしている。
ビアンカ・クラース(リザ・ハーグマイスター)
– ベニーの母親。ベニーの弟妹を育てながら、彼氏と暮らしている。ベニーを愛しているが、暴乱問題に途方に暮れ、福祉課に任せきりになっている。
バファネ(ガブリエラ・マリア・シュマイデ)
– 児童福祉課職員でベニーの担当。温厚で優しくベニーもよく懐いている。ベニーとの接触に消極的な母親には、陰で毒づいている。
エリー・ヘラー(マリアム・ザリー)
– ミヒャの妻で第二子妊娠中。
映画『システム・クラッシャー』作品情報
作品情報
⚫︎ 製作国:ドイツ
⚫︎ 尺:125分
⚫︎ 監督:ノラ・フィングシャイト
⚫︎ 脚本:ノラ・フィングシャイト
⚫︎ 撮影:ユヌス・ロイ・イメール
⚫︎ 音楽:ジョン・ギュルトラー
⚫︎ 原題:Systemsprenger
受賞・ノミネート
2019年 第69回ベルリン国際映画祭
- 受賞:銀熊賞(アルフレッド・バウアー賞)
- ノミネート:金熊賞、最優秀デビュー作品賞
2020年 ドイツ映画賞
- 受賞:最優秀作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、助演女優賞、編集賞、音響賞
ほか受賞、ノミネート多数!
予告動画
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